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2017年12月アーカイブ
有明山
- 2017年12月29日 13:48
- 山行記録
有明山(1635m)北尾根コース
2017.12.17
湧別川林道入口6:30S~北尾根取付8:15~1488m標高点手前11:00引き返し~下山13:00
前日は吹雪の中、白滝道の駅で車中泊、早朝林道入口を除雪し駐車する。
小雪の中を出発する。前日からの新雪でトレースが無いので、気持ちがよい。
湧別川沿いの林道を歩き、スノーブリッチを渡って北尾根に取り付く。深雪の為、思っていたより時間がかかる。
しばらく林道跡を歩き西から回り込んで、適当なところから尾根を目指す。
本日の雪は膝上まであり、少し湿っており重たい。久しぶりのラッセルに息が上がる。
針葉樹林帯の急傾斜のなかをしばらくラッセルすると、一旦傾斜がゆるくなる。
ここら辺が約1000m地点である。だらだらと緩斜面を登っていくと急斜面になり、1488m標高点が見えてくる。
しかし1488mの手前で、同行者が新調のプラブーツが合わず、痛くて歩けないというので残念ながら下山することに決定。
下山はシールをはずして快適にスキーを楽しみました。
来年の2月か3月に再度チャレンジしたいと思います。
ちなみに1450mあたりから樹木が少なくなり、1488m標高点からはクラストしてきます。
風が強くなり、前回は1574m標高点でスキーをデポし、アイゼンで頂上を目指しました。
頂上は平坦です。夏は背丈を越えるハイマツで視界は利きません。
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安部龍太郎: レオン氏郷
- 2017年12月25日 08:21
- ブックレビュー
織田信長に見出されて娘婿となり、その薫陶を受けて成長した蒲生氏郷。
世界とわたり合うために天下統一を急ぐ信長の下、活躍を続ける氏郷だったが、
長島一向一揆での惨劇を目にして心が大きく揺らぎ始めた。
そして本能寺の変が------。
茶人やキリシタンとしても知られる氏郷には、その器量を畏れた秀吉が毒を盛ったとの説も。
2015年11月24日 第1版第1刷
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Y&M AGE Vol.108 無料配布中
- 2017年12月21日 09:21
- ユーミーマンション
入居者・オーナー・ユーミーマンションをつなぐ情報誌
Y&M AGE Vol.108を無料配布中です。
今回のユーミーインタビューは、歌手でアーティストの『小錦 千絵』さんです。
からだよろこぶのコーナーは、囲んで楽しいパーティー鍋です。
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加藤 廣: 利休の闇
- 2017年12月14日 08:34
- ブックレビュー
利休VS秀吉、最悪の結末までの真実とは如何に。
明日をも知れぬ戦国時代、信長と武将たちにとり、「茶」とは何だったのか?
天下を治めた秀吉がそれに変化を求めたがゆえの黄金の茶室と北野大茶会の理由とは?
そしてその変化を見抜くことができなかった利休の誤算とは。
2017年10月10日 第1刷
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ロッシーニ: 序曲集vol.2 セビリャの理髪師
- 2017年12月12日 08:23
- クラシックレコード&CD
ロッシーニ
序曲集vol.2~セビリャの理髪師
オテロ、
セミラーミデ、
トルヴァルドとドルリスカ、
婚約手形
ナショナル・フィル/シャイー
英・DECCA/414407-1
蘭盤、新ラベル、ディジタル
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神威岳~烏帽子岳
- 2017年12月 5日 08:48
神威岳(983m)~烏帽子岳(1109.7m)
2017.11.12
百松橋6:40S~神威岳林道入口7:00~神威岳10:15~烏帽子岳12:15~下山15:15
11月12日現在、百松橋は車両通行止め、歩いて渡ります。
広い林道を20分ほど歩くと、林道は百松沢川を渡りますが、その手前に神威岳の標識があり、この林道に入ります。
しばらく歩くとまた右から来る林道がありますが、右岸沿いの林道を進みます。
林道が細くなると神威岳登山口の看板があります。
小沢を渡り登山道、何度かアップダウンを繰り返します。急勾配でロープが固定されているところがありますが、問題ありません。
次第に神威岳の岩峰が大きくなり、どこから取り付けるのかと思いながら歩きます。
神威岳
832mに厳望台の標識があり、コルに下って再度急な尾根を登ります。
登山道は雪の中で判然としませんが、取り付けないので岩峰を西側に回りこみながら進むと、急斜面の雪の中に固定ロープがあり、それを利用させてもらいました。
登山道は雪の中で分らなかったので、潅木のなかを頂上を目指しました。
神威岳頂上
烏帽子岳への吊尾根
頂上から烏帽子岳への吊尾根は、笹薮です。今回は笹が雪で倒れ、非常に歩きづらかったです。
頂上稜線手前の崩壊地
頂上稜線手前は、急峻で崩壊地になっており、東側から回り込んで稜線に出ます。
右に百松沢山と南峰がはっきり見えます。
稜線も平坦な藪道で笹を漕ぎ続けます。藪漕ぎに飽きた頃、稜線の西端に烏帽子岳の標識を見つけました。
標識の下の三角点を探し、記念撮影をして一気に下山しました。
烏帽子岳稜線
標識は2箇所ありました。
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安部龍太郎: 彷徨える帝(下)
- 2017年12月 1日 08:31
- ブックレビュー
かつて今川了俊を謀反に導いた黒色尉の面は将軍足利義教の手に落ちた。
白色尉の面に操られた鎌倉公方足利持氏の反乱も義教に鎮圧される。
しかし、恐怖政治を強める義教にも苛烈な運命が待ち受けていた。
次第に明らかにされる能面の秘密、そして後醍醐天皇を怨念へと駆り立てた太古の記憶とは。
平成17年2月25日 初版発行
平成25年8月15日 3版発行
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