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ブックレビュー: 2011年11月アーカイブ

佐藤雅美: 幽斎玄旨

img-Y28090413.jpg肥後の大大名細川家の基礎を築き、「神道歌道の国師」とも称された幽斎。第十三代将軍義輝の異母兄として生まれ、室町幕府の名門細川家の養子となり、足利将軍家二代を支え、それでいて信長、秀吉、家康のいずれからも厚遇を受けた。戦国動乱の興亡を如何に生き抜いたのか、その出処進退の鮮やかさと諸芸に通じた文人武将の生涯。

2001年12月10日 第1刷
2004年 3月5日  第2刷

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司馬遼太郎: 峠(中)

img-Y11132552.jpg旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だつた牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。

平成15年10月25日 発行
平成21年12月5日  16刷

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保阪正康: 太平洋戦争、七つの謎---官僚と軍隊と日本人

img-Y04084840.jpgあの戦争は誰がいつ開戦を決め、どのようにして終わったのか?
・開戦を決めたのは天皇でも政治家でもない
・国民はすべて戦争の犠牲者か?
・山本五十六の戦死の真相
・恐るべき特攻戦略が生まれた背景
・東條英機が語った敗戦の理由
・もし本土決戦が行われていたら?

2009年12月10日 初版発行
PS:10月30日に道新フォーラムで講演していました。

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佐藤雅美: 信長(上)(下)

img-X21091946.jpg父・信秀の亡きあと、尾張の織田家を継いだ信長は、苦心の末に乱れていた尾張を統一。そして、上洛のため西上を始めた駿河の太守、今川義元を、桶狭間で見事に討った。美濃を手に入れた信長は、十五代将軍足利義昭を迎え入れ、上洛を果し、いよいよ天下不武へと動きだすのだが・・・・・・。

2006年2月10日 第1刷

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佐藤雅美: 信長(下)

img-Y04090557.jpg足利義昭との溝が深くなった織田信長は、越前の朝倉義景や近江の浅井長政を滅ぼし、天下人への地歩を着実に固めていく。そして、甲斐の武田、本願寺を中心とする門徒衆、越後の上杉等と血みどろの死闘を繰り広げていく。次々と難敵を倒していく信長にとり、最後の大敵である西国・毛利討伐のため、京・本能寺へと向う・・・・・・・。

2006年2月10日 第1刷

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