[充実した週末]~駅フォーラムから炭坑(ヤマ)の記憶まで【1】

11月20日(土)

駅にて西村浩氏の講演!

 

001岩見沢駅講演(西村浩氏平成22年11月20日).jpg

 

 

002岩見沢駅トークセッション221120.jpg

第二部は私がコーディネータ役となって、駅の秘密(?)を探るトークセッション。。

 

90分でイメージした構成も、ここまでに押し気味の時間配分となってしまい、結局、終了時刻は変更できなかったため、僅か50分あまりのショートバージョンに・・(笑)

 

しかも、スタートしてすぐ私の持つマイクが一本壊れてしまい、6人でマイク1本を使い廻すという状況に「何という試練・・・」と一瞬たじろぐものの、優秀なパネリストの皆様のおかげで、トラブルもなく無事終了。。

 

ただ、個人的にはこれも言いたい、あれも言いたいという”お喋り”を我慢しすぎて不完全燃焼・・(笑)恐らく皆さん揃って不完全燃焼・・やむを得ず(汗)

 

 

それにしても第1部の西村氏の講演は圧巻。。

 

あえて岩見沢での話をほぼ封印し、長い年月に適応するデザイン全般の話から佐賀県で自らが手がけるまちづくり社会実験の事など、息をつかせぬハイクオリティの講演は見事!

 

 

まちづくりの深さを痛感させられました。

 

そんなこんなで、非常に楽しいひとときを過ごさせていただき、この後、私は建築士会の懇親会に参加させていただき、西村氏、倉谷氏、鈴木氏の3名はNPO法人 炭坑の記憶推進事業団の代表理事でもある吉岡先生&酒井事務局長と合流。

 

 

聞いたところ、メープルロッジに宿泊し、午前3時まで濃密な吉岡先生ワールドwith iPadへ引き込まれたそうな・・・

 

 

翌、日曜日、、

 

 

 

100NPO炭坑の記憶マネジメントセンター.jpgメープルロッジ宿泊組の皆様と合流させていただき、これまた強烈な炭坑遺産ツアーへ。

 

ちなみにご一行はメープルロッジをチェックアウト後、北炭万字鉱周辺を見学。私はその後、左画像のマネジメントセンターにて待ち合わせさせていただき、コバンザメ商法の如くドサクサ紛れの合流となってます。

 

何せ、吉岡先生という第一人者の案内ゆえ、超濃密なお話が聞ける。

 

ちなみにせっかく聞いたものの、私の脳みそでは理解不能で記憶ディレクトリから漏れたり、断片的になってしまっている情報が沢山・・

 

 

これから先の内容はあまり信用なさらぬように・・・(汗)

 

 

**①*******

 

まずは2台に分乗し、萱野駅へ

 

101萱野駅.JPG102萱野駅ヤード.JPG

 

(左)萱野駅舎

(右)石炭を積んだ貨車が沢山集まっていたであろうヤード跡

 

 

**②*******

 

103クロフォード公園.JPG

 

クロフォード公園(旧三笠駅周辺)へ立ち寄る。

 

この跨線橋は昭和初期からの本物。。

 

 

屋根の曲線が当時のデザインへの心意気を感じさせる。

 

 

104クロフォード公園.JPG

 

ここまでで、すでに様々な情報を与えられ、「へぇ~!へぇ~!!」の連続で、心なしか情報過多に。

 

画像に対する説明が少ないのは、文字数を減らすためではなく、すでに混乱した記憶が整理できなくなっているゆえ・・悪しからず。。(マズイ、西村さんの「平野、、ダメじゃん。。」といういつもの口調が聞こえそう・・・(汗))

 

 

**③**********

 

105幌内炭坑.JPG

 

一行はいよいよ幼少の吉岡少年(?)の過ごした幌内へと進む。

 

この場所は当時事務所があった場所との事で、当時の写真と現地に残る消火栓との位置関係で、その頃に思いを馳せる。

 

(ちなみに(右)吉岡先生の胸にぶら下がっているのは笛。実は昨日幌内付近でヒグマの出没があったばかりで、時折笛を吹きながらの行進。)

 

 

そこから少し歩くと・・

 

106幌内炭坑景観公園案内.JPG

 

このように幌内炭坑景観公園の案内という看板が現れます。この辺りも少し前までは背丈ほどの雑草が生い茂る場所だったのを、先生を初めとするボランティアの方々が何年も整備してきたおかげで、散策できるコースとなってます。

 

 

**④********

 

107幌内炭坑景観公園.JPG

 

このあたりも、実際に働いていた方が書いた全盛期の頃の絵と、残されたコンクリート構造物とを比較しながら当時のレアなお話を聞かせていただく。もの凄い贅沢な時間・・

 

108常磐坑.JPG

 

109常磐坑案内板.JPGこれは常磐坑、隣接してもう一つ同じ坑があり、吸気と排気のワンセットになっているとのこと。

 

神聖なものとしての位置づけで、非常に凝ったつくりとなっていて、土木・建築の権威である西村さんも唸るほどの出来映え。

 

コンクリート製なのに、もの凄くキレイな曲線を描いている。当時の技術と意匠に関するこだわりに驚く。

 

 

かなりマニアックな視野で物事を見る人々の中に身を置くと、ブルブルと魂が震えるような感覚を覚える。刺激的!!

 

 

**⑤*******

 

110幌内炭坑.JPG

 

当時の絵と比べながら全景を望む。

 

面影はないものの、まるでローマの遺跡のような佇まいで、とてもじゃないけど自分のカメラの腕ではその表現ができそうにない。

 

 

**⑥*********

 

111安全灯庫.JPG

 

安全灯庫

 

111-5安全灯庫.JPG

 

当時の写真(これは吉岡先生自らが若かりし日に撮影したものとのこと)

 

112安全灯庫.JPG

 

 

この安全灯一つとっても、様々なドラマがある。

 

 

ガスが充満する坑内で火気は厳禁。

 

 

そこでドイツでは火気が周囲に影響を及ぼさないカンテラを発明し、しかし特許を取って独り占めせずに世界中に技術を公開することで、更なる安全性の向上に向け高めあう方法で、現在のUNIXに通じる概念など、非常に興味深いところまで話は拡がる。

 

 

*******

 

 

時折響く笛の音と共に、一行は北海道最古の坑道。

 

まさしく明治期の北海道開拓の背骨である幌内-手宮間の鉄道が敷かれるきっかけとなる音羽坑へと進む。

 

それは、岩見沢市誕生の「種」でもある。

 

 

【2】へ続く・・

 

《専務取締役 平野》

http://www.hira-ken.com