連休道東紀行(1:出発編)

例年はプランに追われ、結果として全然休みが取れないのがゴールデンウィークでありましたが、今年は強烈な豪雪の疲れや、雪解けの遅延による現場作業開始の遅れに伴い、思い切って4~6日の3日間をお休みとさせていただきました。

 

で、、普段なかなか家族と旅行なんぞしたことがないので、ここでも思い切って子ども達にうざがられるようになる前に家族旅行でも、、とプチ計画。

 

そこで、どこへ行こうかな・・・と悩み(実際には手配は嫁さんがやったので私は全然悩んでませんが(汗))、、まずは私の第二の故郷である網走で一泊、そして世界遺産の知床で一泊というプランに決定。

 

 

出発前日となる5月3日には、お客様との打ち合わせ3件+プラン作成1件を行い、自分の中でばっちりキリの良いところまで踏ん張り、気持ちよく業務完了。

 

しかしながら、天気予報は見事に連日雨模様・・。

 

家に帰ると・・・・

 

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玄関先には"てるてる坊主"が二つぶら下がり、中に入るとテーブルの上にも盛りだくさん・・(笑)

 

果たしてその効果はいかに!!

 

 

 

で、今回のルートは・・

 

予定ルート?

 

大胆にも、行きは帯広(ぶた丼)経由で、網走まで入ることに。。網走では私の住んでいたアパートや思い入れのある場所などを家族に見せようかという計画。

 

二日目は、隠れたパワースポットである清里町の神の子池に行き、知床を南から横断してウトロで宿泊。。三日目は知床を満喫して一路岩見沢へ!というルート。

 

 

 

まずは岩見沢のお土産を買うところから珍道中がはじまるのですが、朝8時そこそこから岩見沢らしいお土産を買おうなんて発想がありえない(汗)

 

 

でも、そういうニーズもちゃんとあるらしく、なんと”こぶし"で有名な金作屋さんは朝8時半から営業している事が判明。これで辛うじて網走でお世話になった方々へお土産を持って行けることに(笑)

 

 

さて道中、、帯広が近づくにつれポツポツと雨が降り出す。

 

狙うは"とん田"という豚丼屋さん。

 

約1万6千円で買ったポータブルナビはそれなりに賢く、我々をちゃんと店の前まで誘導してくれたものの、そこで目にした光景は、、、

 

雨の中、傘をさしながら並ぶ40人ほどの列。

 

とてもじゃないけれど、そんな思いをしてまで食べる覚悟はなく、あっけなく他の店を目指す。

 

その選択も有名店や老舗という要素ではなく、本に載っていた中で一番駐車場が広そうで簡単に入れそうだった場所。(その時点で我々は全くグルメではない事がわかるでしょう)

 

新橋ぶた丼

 

味は、、まぁ、、ふた丼ですから(笑)

 

 

そこからちょっとスイーツ系で寄り道しつつ、一路、網走を目指します。

 

なぜ網走かという補足をすると(一部、私は勉強もできないアホたんちんでした!的な妙なカミングアウト含みますが・・・)

 

 

実は私、、中学校時代はラジコンレースばっかりやってるアホたんちんでして、勉強のベの字もしなかった(できなかった)タイプ。でも、ラジコンでは子どもながら一般の部で活躍し、モーターのサポートも受けたりしてたぐらいの変わり者。。

 

当然、高校も「市内でいけるところ・・」ぐらいの消極的な理由で、岩見沢農業高校であります。それも一筋縄ではいかず、紆余曲折ありながら・・・。

 

高校時代は、すっかりバイクにはまってしまい、毎日家に直帰してはバイクに乗り続ける日々(決して暴走系ではありません!当時、隣町某所に密かにモトクロスのコースが存在したりしていて、近くの農家の友達の納屋にレース用のモトクロッサー(当時中古だともの凄く安く、10万円もあればそれなりのを手に入れられたものです)を置かせてもらっては、原付で連日通っていたのでありました。

 

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(この写真は、たまたま実家に網走旅行のお土産を渡しに行ったら、親父から「お前の写真見つけたわ」といって持たせてくれたアルバムの中の一部、今回のブログシリーズが長くなる気配があるのは、このアルバムのせいもあります(笑))

 

そんな事から、高校に入っても勉強のベの字もするはずもなく、相変わらずアホたんちんでありましたが、なぜか評定だけは大学推薦をもらえるラインを辛うじて維持していた次第・・。

 

で、、その時の担任の先生が東京農業大学出身で、私が高校卒業する時に東農大が網走に新しい学部をつくるので、「お前そこに行かないか?」と・・・。

 

そんなチャンスが程よく訪れる私としては、オロオロと迷いつつも結局そちらの道に進みます。その結果、網走に4年間住む事となり、18歳から22歳までの多感な時期に様々なドラマを頂戴する、まさしく第二の故郷となるのであります。(って、私勉強出来ません!的な個人情報が多々出てますが、それはご愛敬ということで・・(汗))

 

[2:思い出話編へ続く]

 

 

《専務取締役 平野》

http://www.hira-ken.com